父親の何年目かの命日だったので
久しぶりに実家に行ってきた。
すると、父親の車をついに廃車することにしたから今日車屋が引き取りに来てくれるんよと母親が車内の荷物を運び出していた。
闘病中禁煙していた父親が常備していたガムが出てきたとき、母親が「ガムいるか?」と言ってきたが「いや無理やろ」って食べる食べないの返事してしまったことを何となく薄情だったかなと思っている。
錆びた車体が年月を物語っていたそれは、たまに近所や知り合いが借りに来ていたらしいが最近はそれもなくなったため母親が思い切ったらしかった。
しかしなぜ今日なのか、と。
これもきっと不思議な巡り合わせなんだなと思った。少ししたら本当に車屋が取りにきて躊躇いなくエンジンをかける。
エンジン音がしたあと
父親の癖のついた、
独特のギアの切り替え音
独特のバック音
また独特のギアを切り替える音。
坂道を転がる時の車体の音
エンジン音
遠ざかる車体の音。
乗っている人間は全くの別人なのに
父親の在りし日の姿がリンクして
何とも形容し難く
一筋、また一筋涙を流した。
ああ。。。。。
ああ。。。。。
そうか。
この音も私の中の父親の思い出だったか。
車体が見えなくなるまで見送った。
見えなくなってからあの音を録音しておけば良かったと悔やんだ。
それから墓に母親と行った。
お寺の境内を歩いているだけで汗が流れるほど暑い日で。
私はもうただ暑くて暑くて。
だけど暑さに慣れている母親はへいちゃらで、
花を活けかえたり墓石を磨いたりしていた。
そんな母親を見て少し安心した。
そんな中母親が、父親が亡くなった日の午前中は雨が降っていたと言った。私は晴れの記憶があったから驚いたら朝は雨が降っていたよと断言された。
私は私でバタバタと病室に飛び込んで来た母親の足音や、病室のドアの開閉音、親戚中が集まっているのにやけに静かな病室とか、居た堪れなくなって窓の外を見たときの夕焼けが綺麗だなってことしか覚えていなかったから、てっきり晴れの日だと思っていた。
そうか、あの日の朝は雨が降っていたのか。と思った。
線香とタバコと酒。
父親に挨拶。…したつもり。
父親の何年目かの命日の1日。