振り返ると、母親はあまり料理の得意な人ではなかったように思う。
何を材料に使っても出来上がりは同じような味付けのものが出てきたし、時間のかかる凝ったものは出てこなかった。ハンバーグはレストランのメニューだと思っていたし、餃子は冷凍食品だと思っていたからあれが人の手で作れるものだと知ったときは衝撃を受けた。
でもごくたまに、誰かから聞くのかそれともテレビで見たのか変わり種な食べ物が食卓に並ぶこともあったのだが、しばらくすると消えていった。何が原因なのかはわからないが母親のレパートリーに入れるには基準を満たさなかったようだ。
で、お題の「思い出の食べ物」だが、
父親は釣りが趣味で仕事の合間を見つけては近くの海へ釣りに出かける。坊主の日もあったが、行くと何かしら釣ってきて食卓に刺身が並んだ。
今思えば贅沢だったなと有難く思っている。
釣ってきた魚を捌くのは母親だが、毒のある魚を捌くのは父親がやった。
思い出の食べ物が食卓に並んだのは、父親がガシラという魚を釣ってきた夜のことだった。
ガシラは我が家では煮付け一択だったのだが、おそらく母親がどこかで情報を仕入れたんだと思うが唐揚げになって出てきた。
黒っっっ!!
「よそ見をしてたらちょーーっと揚げすぎた」
と茶目っけたっぷりな母親は
とんかつソースも出してきた…。
うん。どうやら食わす気らしい。
ええい、ままよ!腐って糸を引いた餡子を食べても何ともなかった腹だ。焦げすぎたガシラくらい何ともないだろうよ。と腹を括って口に運ぶ。
バリバリバリバリ……
ん!?
なんだこの香ばしさは!?とんかつソースと絡み合って何とも食欲をそそる味になっているじゃないか。しかも骨の多いガシラは子供の私は食べるのが苦手な魚なのに、これは!
なんと骨までバリバリといけるじゃないか!
見れば父親も姉妹も「美味い美味い」と箸を伸ばしている。みんなバリバリバリバリ。苦味はとんかつソースがかき消してくれたのだろう。焦げた魚がこれほどまでに美味いとは衝撃だった。
母親も想定外だったのだろうが、あまりの売れ行きの良さに失敗作のそれに誇らしく命名した。
「バリバリ」と。
母親のレパートリーに加えられた瞬間だった。
バリバリはその後、ガシラを釣ってきた夕食には当たり前のように食卓に並ぶようになり、その度売れるように家族の腹に収まっていった。しかし回数を重ねるごとにその黒さは濃くなっていき、さすがにとんかつソースでは苦味を誤魔化せなくなった時、父親が言った。
「新鮮な魚を釣ってきたのになんで炭を食わされなあかんねん」と。
その日のバリバリは確かに炭だった。父親の言葉の後、母親は「ほんまやな。あんたら食べるのやめとき」とバリバリを食卓から下げ、別の料理を出してきた。その時のバリバリがどうなったのかを私は知らない。
以来、「バリバリ」はきちんとした「ガシラの唐揚げ」としてレパートリーに残ったのだが、私は今でもたまに母親の失敗から生まれたバリバリが食べたくなる日がある。