mono3yu’s blog

ただ、自分と向き合う

記憶の中のパイナップル

今週のお題「パイナップル」

 

パイナップルの頭の部分を植えておくとパイナップルができる。

 

こんな話を子供の頃に聞いたらどうするか。

 

もちろん植える。

 

ということで子供だった頃の私も植えた。

植えておくだけで特に何も必要ないとのことだったので

「めっちゃ簡単やん。こんなんでパイナップルが育つならエンドレスやん」

と超楽観的思考のもと、親に大きな鉢を借りて植えた。

 

毎日毎日変化を楽しみにしていたら日ごとに枯れてきた。

パイナップルの頭がヘナヘナと萎れて茶色く変形、見た目は腐った何かになってしまった。

パイナップルは育たなかった。

落胆する私に父親は

「枯れてから芽が出てくるんや」

と何でもないことのように言った。それでも私はこんなに枯れ果てたパイナップルから芽が出るとは到底思えず、汚く枯れたパイナップルからすっかり興味をなくしていた。

 

そんなある日、父親が

「おい、パイナップル食べられるぞ」

といたずらっ子のような顔で嬉しそうに私を庭に連れだした。

半信半疑で鉢を見た私は驚いた。

ほんの数日前までは確かに腐っていたパイナップルから緑色の葉が伸びてきていたのだ。

 

狂喜乱舞とはああいうことを言うのだろう。

私は飛び上がって喜んだ。

 

それからパイナップルはグングン育ち、パイナップル特有の葉が、それから一本の茎が伸び、真ん中に丸く蕾のような塊が出てきた。

 

その頃はインターネットなんて普及していなかったからパイナップルがどんなに出来上がるのか前もって知るよしもなく、ただ成長していくパイナップルを見守るしかなかった。

 

だからまさかパイナップルの上にパイナップルができるということを目にした時は本当に奇想天外、この世には面白い食べ物があるんだなって思った。

そして早くあの時食べたパイナップルにならんかな〜と大きくなっていく蕾を眺めていた。

 

そんなある日、父親が

「早く食べてやれ。これ以上は腐るだけや」

と私にそう言った。

大きさはあの時食べたパイナップルの3分の1ほどの大きさしかなかった。私は不満がったが、父親は農家の勘でこれが限界だとわかったんだと思う。

 

その日の夕方、パイナップルの上にできたパイナップルを収穫。

それを家族で食べた。

甘味も酸味もなかった。ただ味が薄かった。美味しくなかった。

 

その後父親が鉢を片付けた。母親が食べ残したパイナップルを廃棄した。

以後我が家にパイナップルがやってきても、庭にパイナップルが植えられることはなかった。

 

お題「パイナップル」

そんな記憶を思い出した。